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片道キップで小岩井へ(1998年)長文、散文

誰でも自分伝説と言うものを持っているだろう。

私も少なからず持っているのですが、そのひとつ。
内輪では「バスジャック事件」と呼んでいる伝説をひとつ…。

1998年 秋 GRAPEVINEのファンクラブよりスケジュールのお知らせを受け、「小岩井ロックフェスティバル」の存在を知る。
グレイプバイン、トライセラトップス、SPITZ、奥田民夫、Penpals、PUFFY(サポートに木下裕晴)etc.etc...
行くしかないよなー、オレのためのフェスティバルでしょ!?と勘違い甚だしい五日は、迷った挙げ句 参加決定。
チケットを買い、往復の新幹線チケットを求めるが、帰りの時間に間に合う新幹線がなく、泣く泣く行きのみのチケット購入!
深夜バスも探したんだけど、みんな売り切れ。寝台電車もなし。ホテルも頃合いのがないと来た…。
でも、でも、豪華なメンツが待ってるしさー、きーちゃん見たいしさー、どうにでもなれ!と片道キップを握りしめ、いざ岩手へ。
最悪野宿かー?とかうっすら考えながらも、街には24時間のファミレスとかあるだろうと鷹をくくっていたんです…しかし、駅に降りたって、初めて現実に気づくのである。『ま、まずい…これは野宿決定かー??』
ファミレスも何も、駅付近にはPM8:00にはしっかり閉まってしまいそうな店ばかり…。ホテルが1つあったが、高そうで手が出ない。(あくまで1998年の話、今はどうなんだろう)

とりあえず作戦を練り、現地で高速バスを調達することにする。
バス乗り場を探し、窓口に訊ねてみるが、いまは満席とのことで…唯一の希望を失う。
根気強く(しつこくとも言う)、聞いてみると、キャンセルが出るかも知れないから、出発時間くらいに、乗車場所で聞いてみたらってことに。なんとも頼りない希望だが、それしか野宿を回避する道がはないので、不安を抱えながら会場へ移動。

無料のシャトルバスに乗り、小岩井牧場へ。いまどき歩くと軋む木製の床にビビリながら、会場到着♪ 門をくぐると絵に描いたような牧場で、ホントにここでフェスティバルが?と絶句。
まずは、開演時間まで時間があったので、周囲を探検。
牧場らしく、しぼりたて牛乳ソフトクリームやビーフコロッケなど軽く摂りながら過ごす。お土産売り場には、チーズやアイスや、バターなんてものが並んでいた。なんだかのんびりと待ち時間のあと、入場に並ぶ列に加わった。

ステージ前の広い会場(草を刈った牧場なんだけど)が前と後ろの2ブロックに分けられていたような気がする。
んで、後方には、食事スペースの屋台。右手の端には、出演アーティストのグッズ売り場なんかが並んでました。

地元のラジオDJが進行を務め、正面のモニタにはローカルCMが流れる会場。
周りの家族の会話が方言でやりとりされてて、おぉ!と北の国に来たことを実感する。
あ、そうそうすっごく日差しが強くて、日焼け止めを塗りつつ、持ってる荷物やハンカチなんかで、日差しを防いでたんだよねー。あわや日射病。

そんなことをしてる間にフェスティバルスタート!
順番は覚えていないけど、デビュー間もない小林建樹さんがトップの方に出たのと、PENPALSのステージがやたら熱かったのを覚えてます。日差しがキツイから、好きなバンド以外は座ってノリながら温存の作戦で夕方まで過ごす。

トライセラとグレイプバインで立って、良い位置に移動しながらテンションを上げる。
夕焼けが沈む頃にたしか、奥田民夫・PUFFY登場。(←多分ね)
PUFFYの「愛のしるし」をみんなで振り付けしたり、ゆるいMCが続く。
印象深いのは、曲の間に会場の周りの丘を羊がメーメー鳴きながら走っていく様子がすごかったな。PUFFYが歌ってるのに、羊走ってんだよ!
考えられないもん。(笑)
そう、きーちゃん(L⇔R 木下裕晴)は頭に赤いバンダナつけて、無精ヒゲを生やしてたと思います。ヒゲだー、バンダナだー!と軽くショックを受けながらも、「きーちゃーん!」とか応援してた私です。ふふふ ←私はヒゲもバンダナ野郎も苦手なのです。

どんどん暗くなってきて、8時か、9時を迎える頃、そろそろ時間を気にし出す私。周りのひともぽつぽつと帰り出す人も見られ、さらに焦る。

でも、トリのスピッツが出てきて、満天の星の下、正宗さんの歌声がステキでした。しばし時間を忘れてうっとり♪
ロビンソンとか泣きそうでした。

結局あがいてもしょうがないと、終了時間まで残留。
終了後、急いでシャトルバスに乗って駅の高速バスを捕まえないと行けない私は、会場を後にしようと足早に動き出しました、が…、整理退場を呼びかけられ、その場に拘束。
そんな余裕は全くないのにー! 野宿への道決定かと、思わず天を仰ぐ。でも星はキレイなんだよねー。宮沢賢治で有名な土地だもんなぁとか、感傷に浸ってる時間はない!

なるべく整理退場を守りながら、シャトルバスのある場所に駆けだした。星の明かりはあるとは言え、暗い夜道をざくざく移動。人のいる方へ、自分の勘の赴くままにひた走ること数分。

いくつかバスが並ぶ場所へ到着。
やれやれと近づくと、そこは高速バスが…。地方からツアーを組んでやってきたバスなので、ツアーに申し込んでる人以外乗車不可。わー、金なら(多少)あるのにー、載せてはくれないバスに背を向けて、シャトルバスの待つ場所へ急ぐ。

ここで、気付かれた人もいるかも知れませんが、私は日本でも有数の方向音痴なんです。ワールドカップに出場できるほどのハイレベルな方向感覚。そりゃあもうーひでーの何の。(苦笑)

高速バスの運転手さんに道を聞くと、今来た道の方を指すじゃないですか…真逆に走ってたみたいで…。
猛ダッシュ。なんとかシャトルバスを見つけだし、行き先を確認して乗り込みました。
かのように見えた。見えたんだよ!!
安心して、またも木製の床のバスに乗り、ゆったり椅子に座って数分。真っ暗だけど、なんか変。行きのバスから見た車窓の風景となんか違う…じわじわとイヤな予感。
それに実際は下りのはずの道のりなのに、なぜか上ってるのよ!
次は駅に着くだろうと思って着いた場所は、スキー場の駐車場でした。そこで気付く「あ!私違うバス乗った…(絶句)」
気付くのが遅せー!!私のバカー!!
緊急でしょうがないからそこで降りて、イベントの為に道々で立っている整理係のスタッフさんに声をかけ、事情を伝えた。
「駅行きのバスに乗りたかったんですが…!」
係員:「あらら、こっちいくとスキー場にしか行かないよ」みたいなことを方言でおっしゃいまして。急いでるんですーと泣きそうな顔で言ったら、そこに通りかかった回送のシャトルバスを止めてくれて、これに乗って一度会場に戻って下さい。そこでまた駅行きのバスに乗り換えて、駅に向かってください。とのお言葉。そ、それで帰れるのならと思った瞬間「駅行きのシャトルバスに間に合うかなー!?」なんて キャー!どうしよう!!
とりあえず乗車、運転手さんに「すいません、よろしくお願いします」と言いながら。
乗り込んだそこは、またまた板張りのバス。
んでもって、回送だから当たり前なんだけど、客は私1人(笑)
運転手さんの後ろ当たりに座り、「間に合いますかねー」とか「深夜バスに乗りたいんですけど」と切なく言ってみる。
「大丈夫じゃないかなぁ」みたいなことを言ってくれたみたいなんですが、ちょっとお年を召した運転手さんだったせいか、方言バリバリでなまりで意味がよくわかりませんでした。
いや、バカにしてるわけじゃなくて、別の国の言葉に聞こえたのは事実です。で、回送だから電気消しますね、みたいなことを言われて、消灯。
真っ暗。運転席だけ少し灯りがある状態で、真っ暗な道をヘッドライトが照らしてゆくの。これは帰れないかもかも、もしもの時はこのオジサンにお願いして泊めてもらおう…、そんで、おばさんとオジサンに「えらいことだったねぇ」と方言で言われながら一夜を過ごすのかー?と妄想開始。オジサンが一人暮らしだとまずいなぁとか、勝手なことを考えつつひた走る。
これって、電波少年じゃん!(日本テレビ)とか苦笑いしながらガタンガタンと会場へ。
ちょっとしたバスジャックだよなーとか考えてたら牧場に着きました。会場に入ると、オジサンが「もう牛乳は飲みましたか、絞りたてはおいしいよ」と言ってくれました。
「アイスは食べました。おいしかったです」と、緊急事態とはおもえぬのんびりムード。

会場のシャトルバス乗り場に乗り入れてくれた上、バスの運転手さん仲間が溜まってるところへ声をかけて、この子がバス乗り間違った見たいなんだけど、まだ駅行き走ってるかなー?って感じで交渉なのかなんなのか声をかけてくれました。皆様「それは大変だったねー」とにっこり迎えてくれました。お世話かけます。
精一杯に愛想よくお礼を言いながら、駅行きのバスに乗車。
今度こそ、高速バスの待つ駅へ、なんとか発車時間内に間に合ったのでした。

つっても、バスのチケットなかったから、その場で交渉して、キャンセルの席せしめて、東京に向かうバスに乗り込んだのです。あーやれやれ。

全部自分が悪いような気もするが、旅先で人情に触れ、なかなかスリリングな旅だったなーという良い話として片づけようとするのでした。あはははは バカです。伝説がまたひとつ…。


Last Update : 2004/01/14