常に頭のなかにあるのに(常に考えてるわけではない)、
あんまり書かない、考えたときも表さず脳内で流すのは、
存在やまつわる記憶を書くことで、
そのもの以上に重くなるのも軽くなるのもいやだからかも?
と今日晩ごはんを作りながらふと思った。
下書きに書いてすっきりして終わることもあるし、
ここに書くこともある。どうせ誰も見ないし、
ここは自分の頭のなかに近いから、悪いことを
書くのじゃなければいいか、と思って。
ツイートとして書き出すと、
常に頭のなかにはある、わけだから、
ついつい
しょっちゅう
キリなく書いてしまいそうだから、
基本抑えるようになった。
考えた流れで書いた。であって、
共感を得たくて書くわけじゃない。
ちがうのに、共感を得たくて書いたな、と
思われたらこまる。
自分の思いが勝手にウソとされるかもしれないなら
書かない。(考えすぎ)
書かなくても思いは消えないし。
他人が書くのはいいの。
書きたいときに書けばいい。
それぞれの大切なことがある。
そして、書くときはわりとぼかしてるな私。
何で主語をハッキリ書かないんだこいつ、と
思われたとしたら、
自分の中の考えをつい書いてしまっただけだから
他人に伝えるつもりがない文だから。
そういう時はぼかしてることが多いかも。
ニュース的な、聴いてください!て時は主語も
名前も書いてる、と思う。
これは残しておこうと思った記憶にも主語は多分書いてる。
多分。